担当:土井 勉(一般社団法人グローカル交流推進機構)

自分はクルマしか使わないから、公共交通に関心はない。高齢者の移動のサポートなどは認めるが、自分の払った税金で乗りもしない公共交通を支えることには結構抵抗感がある。

公共交通は乗るだけではなく、地域の人々に様々な役割を果たしています。それについて以下をみてみましょう。
この記事は2021年7月に公開した「なぜ公共交通を支える必要があるのでしょうか?」と共通しているところが多くあります。今回の記事に併せて、読んでいただければ幸いです。
大前提:便利だから普及した自動車
表-1は国土交通省「数字でみる自動車2025」のものです。これによると自家用乗用車の普及は世帯当たり1.02台。一家に1台を超えた普及状況になっています。
自動車を保有するためには、1台あたり年間30~60万円ほどは必要になると言われています。「この保有コストを上回る便利さがある」から、これだけ普及したのだと考えられます。
表-1 自動車普及状況(2024年3月末):国土交通省「数字でみる自動車2025」
だから当然のことですが、移動の手段として自動車を使う人たちの割合も多いわけです。郊外の都市では、自動車の手段別分担率(移動に際して使われる交通手段の割合)が8割などになり、バスや鉄道など公共交通、それに二輪車や徒歩も残りの2割に含まれる状況も少なくありません。
そうした地域だけでなく、様々な地域で公共交通の再生や、活性化に取り組む場合に自動車しか使わない人たちにも、公共交通の役割に気づいてもらい、交通政策に関心を持ってもらうことは政策推進のためにも極めて重要です。
前提:自動車に比べて公共交通が有利な点
上でみたように自動車の普及の背景には、他の交通手段に対して自動車が圧倒的に便利で快適な乗り物だから、です。だからと言って自動車が公共交通(鉄道、バスなど)と比べて全ての面で優れているわけではありません。その点について少し考えてみましょう。
① 自分で運転しなくても良い乗り物
当たり前のことですが、この当たり前が重要なことになります。
実は自動車を気軽に利用できない人は自動車型の都市で29%にもなります(加西市の事例から)。
このような人たちの移動は、誰かの運転による送迎に依存する場合があります。その場合、送迎する人にとっては、自分の時間を送迎に合わせなくてはならないので、「送迎人生」と言われるようなストレスを抱える可能性があります。
送迎がなくても目的の移動ができる公共交通があれば、送迎する人も、送迎される人もお互いに負担を感じることなく、日々の生活をすることができそうです。
特に、送迎をしてもらう立場の人たちは、送迎を担う人に対する遠慮や気兼ねが働くと外出が潜在化することがありそうです。その場合でも、自分の都合で外出できる公共交通サービスがあれば、気兼ねなく外出できそうです。多様な人々が外出することで、本人も社会との接点が増え、外出による健康増進ができることになりそうです。また、地域にとっては潜在需要が顕在化することで、来訪者の増加による地域の商業などの活性化や雇用の拡大なども期待できます。
さらに自分で運転しなくても良いことで、運転免許を取得することが困難な様々な障害を持った人たちの移動を支えることになります。こうした人たちが自分で移動できることで、通勤などが可能となり、仕事につける可能性があります。障碍を持った人たちが自由に活動できることで、社会全体の活性化にもつながります。
② 人々の移動を束ねることができる
多くを語るよりも、次の写真を見ると直感的に公共交通の輸送力に気づくことができます。
図-1 同じ50人を運ぶための移動手段と都市空間
富山県高岡市エコライフ撮影会写真より
(撮影:(公財)とやま環境財団,一部土井修正)
このように公共交通は人々の移動を束ねることで、大きな効果を得るものに渋滞対策があります。図-1のように個々の人々を自動車で運び、その駐車場を準備することに比べるとバス1台で多くの人を運ぶことで渋滞を減らすことが可能となります。
この他にも、様々な目的を持った人々の移動を支えることで、クロスセクター効果も算出ができます。
自動車しか使わない人たちに公共交通の価値を知ってもらうための説明
自動車しか使わない人たちにも、公共交通は乗るだけのものではなく、これまでの説明を踏まえて「公共交通は自分の暮らしにも利益がある」という視点から説明することが重要となります。
そこで、次のような説明が分かりやすいと思います。
① 高齢になっても暮らすことができる(前提①に対応)
今は運転できても、誰もがいつかは高齢者になります。病気や事故で運転できなくなる場合もあります。また、運転に不安を感じて免許を返納したくなることもあるでしょう。その時に地域に公共交通が残っていれば、
- 病院に行くことができる
- 買い物に行くことができる
- 友人と会うことができる
というように日常生活を維持することができます。公共交通は「将来の自分への保険」でもあります。
② 子どもの未来を支える(前提①に対応)
高校生や大学生は免許を持っていないことが多いと思います。公共交通がなければ、
- 通学できない
- アルバイト先に行くことができない
- その結果、地域に住み続けられない
というような問題が起こります。結果として若者が地域を離れ、人口減少が加速します。この人口の社会減少は地域にとっては大きな問題となる可能性があります。
③ 家族の送迎負担を減らす(前提①に対応)
公共交通のサービスが十分がない地域では、
- 子どもの送迎
- 高齢者の通院
- 家族の買い物
などの多くの移動(送迎)を家族が担います。これを肯定的に考える人たちも存在しますが、もちろん負担に感じている人たちも少なくありません。送迎も選択できる状況であれば良いのですが。
送迎を負担に感じる人たちにとっては、「送迎人生」と呼ばれる状況になります。
送迎のために、家族の誰かが仕事や趣味の時間を奪われることは、家族全体の生活の質を低下させる恐れがあります。公共交通は、家族の時間を大切にする役割も果たしています。
④ 渋滞を減らしている(前提②に対応)
上の図-1のことです。そして、公共交通があることで、一部の人々が鉄道やバスを利用しています。もしその人たちまで全員が自動車を利用することになれば、道路はさらに混雑し、自分自身の移動時間も長くなります。だから、公共交通は「道路の混雑を引き受けてくれている存在」なのです。
⑤ 地域経済を支える(前提①と②に対応)
鉄道やバスは、
- 観光客
- 学生
- 高齢者
- 通勤者
などを地域の内外へ運びます。だから公共交通がなくなると、
- 商店街
- 病院
- 学校
- 観光地
へのアクセスが悪化し、人々が来なくなり地域経済にも影響が及びます。
公共交通は「社会のインフラ」
自宅前の道路は、その道路を利用する人が通行するために料金を支払うことで、道路を維持しているわけではありません。その道路を使わない人たちも、道路網を維持するために、道路整備や維持管理を支えています。そして、その道路を、何かがあれば消防車や救急車が走ることで、災害や事故から我々を守ってくれているのです。
同じように、公共交通も「必要なときに使える状態を維持する社会の基盤」(宇沢弘文先生のいう「社会的共通資本」)なのです。だから皆で支えることが期待されるのです。皆で支えずに市場に委ねると社会的共通資本は劣化する恐れがあります。
そして、公共交通は、
- 自動車と競合する存在ではありません。
- 自動車を使う人の生活も支えているのです。
だからこそ、「自分は乗らないから不要」ではなく、「地域全体の暮らしを支えるインフラ」としてとらえることが大切なのです。

