地域やコミュニティの範囲の捉え方

担当:井原雄人(早稲田大学スマート社会技術融合研究機構)

地域住民
地域住民

交通事業者が撤退してしまい、地域の助け合いで移動手段を確保しようと考えていますが、なかなか意見がまとまりません。

天の声
天の声

住民主体の助け合いによる互助輸送、ボランティア輸送も大切ですが、助け合う範囲は人によって違うということに注意が必要です

地域の範囲ってなんだろう?

 そもそも地域という言葉の示す範囲に定義はありません。私たちは日本という国に住んでいますが、世界から見たら日本という地域ともいえますし、日本の中の**県や**市という範囲も地域といえます。

 地域の移動手段を考える場合は、もう少し小さい範囲で市町村の中の町丁目ごとであったり、それらをまとめた自治会や町内会、小学校や中学校ごとの学区(校区)などを範囲とすることもあるでしょう。

 これらに共通するのは、行政によって土地の境界に依存して定められたものであり、距離的近い範囲を地域と呼んでいることになります。また、その土地の境界も「現在」のものでしかありません。人の交流=人が移動して行き交うことは、土地の境界を跨ぐこともあり、その交流により文化や歴史を共有できる範囲も地域といえるでしょう。

コミュニティの範囲ってなんだろう?

 土地の境界に依存した地域の範囲の対比として、コミュニティという言葉の範囲を考えてみましょう。コミュニティという言葉の示す範囲にも定義はありませんが、人と人の関係性の範囲として考えるとイメージが付きやすいかもしれません。

家族の範囲と移動

 身近な人と人の関係に当たるのは家族があり、その中でも婚姻による夫婦二人が一番狭い範囲といえます。夫婦の間の空間的な移動の問題でよく出てくるのが、通勤する夫の駅までの送迎があります。
 送迎する側からすれば、家族のために働きに出ているのであれば、朝早い送迎も頑張れます。しかし、酔っぱらって終電で帰って来るのを迎えに行くのは少し嫌なことかもしれません。これは、夫は外で働き、妻はそれを支えるという家族間の役割の固定化によるところもありますが、買い物に行く妻を夫が送迎するという場面を想像すれば、誰にでも当てはまることです。

 もう少し家族の範囲を広げると、次に考えられるのが子供との関係です。地方都市では、学校までの距離があり公共交通が不便であったりすると、子供の通学のために送迎しなければなりません。都市部でも習い事や塾通いのために送迎しているということもあります。
 たまにならば子供とコミュニケーションを取る貴重な機会かもしれませんが、毎日だと思うと子供のためとはいえ、少し大変かもしれません。

 子供と反対に親との関係を見てみましょう。親世代も元気なうちは自分で移動ができますが、高齢化が進み免許返納をした際に公共交通が不便な地域では、通院や重たい買い物をする際に送迎が必要となります。さらに、要介護の状態になれば公共交通があっても、家族の支援なしに移動することが困難となってきます。

 そして、子供と違って親世代で考えなければいけないのは義理の両親の存在です。以前は義理の両親と同居し、三世代で暮らすという家族も多くありました。しかし、核家族化が進み両親とは別居している家庭が増え、わざわざ遠距離の義理の両親の送迎をするために移動することは物理的にも、気持ち的にも難しくなってきています。

親密圏の範囲と移動

 次に、家族以外のコミュニティについても考えてみましょう。人と人の関係の範囲を示す言葉として、親密圏というものがあります。親密圏とは、従来の家族の範囲に加えて、婚姻や血縁によらない家族的な関係性も含みます。家族的な関係性といわれてもいまいちピンとこないので、ここまで挙げてきた事例に当てはめてみましょう。

 例えば、町内会は親密圏に入るでしょうか?一昔前は、お祭りや貸切バスを借りて旅行に行くというように、一緒に何かをするという行事がたくさんあり、親密な関係性がありました。そうすると、近所で困っている人がいれば、病院や買い物に一緒に行くというようなことも自然と行われていました。
 しかし、近年ではそういった行事がなくなってしまい、町内会という組織は残っているけれど、その中での親密さは失われていっています。

 子供たちの学区ではどうでしょうか?学区そのものは、行政により分けられた「地域」に当たりますが、その中での関係性は子供たち同士が友達であるのと同時に、親同士もママ友などといわれて比較的親密な関係性があるかもしれません。ママ友の関係性は、家族的なとまでいえる親密さではないかもしれませんが、同じ子育てをするという目的を持っていることが特徴です。
 また、移動に関しては登下校の時間など子供同士は似たような時間・場所に移動することが多くなります。そのため、通学や習い事の送迎を交代で行うなど、親同士ですでに助け合いをしている事例もあります。ただし、この関係性は子供同士が同じ学校に通っているということに依存しているため、卒業するまでの期間限定の疑似的な親密な関係かもしれません。

助け合う範囲ってなんだろう?

 ここでは、家族や親密圏の関係をデフォルメして書いたので、全ての人があてはまる訳ではありませんが、家族や親密圏の範囲は一括りにできず、様々な関係性があります。

 公共交通の衰退が進む中で、「住民主体」というキーワードを使いながら、地域で移動の仕組みづくりが行われている事例が増えていますが、その中で上手く行っているのはごく一部です。困っている人はいるけれど、地域の意見がまとまらず取り組みを始めるにも至っていないところも多くあります。そういった地域では、いきなり具体的な移動手段の話をする前に、自分たちの地域やコミュニティの範囲を見渡して、助け合える範囲を考えることが重要です。

 自分に余裕があるときは、進んで困っている人を助けることはできますが、余裕がなくなったり、それが定常的になってくると続けることが難しくなります。

 今の時代には「困ったときはお互い様」だけで助け合うのは難しく、助ける側にも少しの不便があることをお互いに認識し合い「***のためなら、ちょっと大変だけど仕方ない」と思えるぐらいの関係性の中で、助け合いの範囲を考えるのが良いかもしれません。

 地域での助け合いは、お互いに助け合う人がいるからこそ成り立つことで、地域そのものが衰退してしまい、助けられる側の人ばかりになってからでは成り立ちません。まだ、助け合いができる間に、どのような関係性で、どのような助け合いをするかの話し合いを始めてみましょう。

参考文献