免許返納問題を考えるための視点

中尾聡史(京都大学大学院工学研究科准教授)

悩む担当者
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免許返納の問題には、どのように取り組めばよいのでしょうか?

考える人
考える人

高齢者に対しては、「危険だから返納しましょう」と迫るのではなく、「将来の自分のために、今から少しずつ“準備運動”を始めましょう」という、長い目で見た前向きなコミュニケーションへと切り替えていくことが大切です。

高齢者の交通事故リスク

 平成31年に池袋で起きた高齢ドライバーによる死亡事故は、人々の大きな関心を集めました。それ以降、メディア報道やSNSでは高齢者ドライバーの危険性が繰り返し取り上げられ、高齢者の免許の返納を求める声も一層強まっています。実際、免許保有者当たりの75歳以上高齢運転者による死亡事故件数は減少傾向にあるものの、75歳未満と比較すると、その数は約2倍に達しており、年齢が上がるほど交通事故のリスクはさらに大きくなります。こうした状況を受けて、多くの自治体では、運転免許証を自主返納した高齢者に対して、公共交通のチケットを配布するなど、返納後の移動を支える取り組みが様々に進められています。

免許返納による健康リスク

 免許返納はこれまで主に交通事故を減らすための取り組みとして進められてきましたが、近年の研究からは、返納後の生活に潜む別の問題も明らかになっています。たとえば、外出の機会が減り心身の機能が低下したり、フレイルが進んだり、要介護認定のリスクが高まったりと、健康面の影響が指摘され始めています。つまり、免許返納は社会全体にとって事故リスクを減らすという大きな社会的なメリットをもたらす一方で、返納後に外出が難しくなる高齢者が増えると、結果的に健康を損ね、医療・介護の社会負担が高まる可能性もあるということです。

免許返納ジレンマ

 高齢者の立場からすると、免許を返納するかどうかの判断は、「健康リスクを受け入れるか」「交通事故リスクを受け入れるか」という、どちらも選びにくい状況に置かれていることを意味します。いわば、どちらを選んでも不安が残る“免許返納ジレンマ”です。では、このジレンマはどのように解消できるのでしょうか。

 その手がかりとして、返納後に外出が減り、健康リスクが高まる理由を考えてみましょう。ある研究では、公共交通が利用できる地域に住んでいても、日頃から使い慣れていないために返納後にうまく利用できず、外出の機会が減ってしまうケースが報告されています。また、年齢が上がるほど交通手段の切り替えが難しくなることや、返納前によく車を使っていた人ほど、返納後の移動に困りやすいことも分かっています。こうした点を踏まえると、長年マイカーに頼ってきた高齢者は、免許返納後に公共交通へスムーズに移行できず、その結果、外出が減って心身の健康リスクが高まりやすい状況に置かれていることが見えてきます。

免許返納ジレンマの処方箋

 免許返納後の健康リスクを減らすには、日頃からマイカーだけに頼らず、さまざまな移動手段に少しずつ慣れておくことが大切です。自主返納する人もいますが、認知機能検査の結果、思いがけず突然免許を手放さなければならなくなる場合もあります。だからこそ、“いざという時”に困らないよう、早い段階から移動手段の選択肢を増やし、自分の移動の備え(レジリエンス)を高めておくことが重要です。

 これはまさに、「自動車に過度に頼る状態」から「公共交通や徒歩など多様な交通手段を上手に使う状態」へと移ることを促す、モビリティ・マネジメントの考え方そのものです。免許返納ジレンマを解消するには、「危険だから返納しましょう」ではなく、「将来の自分のために、今から少しずつ“準備運動”を始めましょう」という前向きなコミュニケーションへとシフトしていくことが求められます。

(本記事の内容を紹介するためのマンガも作成していますので、ぜひさまざまな現場で活用していただければ幸いです。)