クロスセクター効果―人々の移動を支える公共交通の価値を可視化する方法(3部作のうち3/3)

第3編 クロスセクター効果の算出結果の評価と今後の展開(3/3)

土井 勉:一般社団法人グローカル交流推進機構

地域公共交通のクロスセクター効果について、もう少し詳しく知りたいと思います。

今回はクロスセクター効果の算出結果と事例の紹介を行います。今回が3/3になります。

クロスセクター効果のトリセツの記事は下記のように3部構成になっています。第1編から第3編まで通して読んでいただくことが望ましいと思います。

第1編 公共交通の意義・役割とクロスセクター効果分析の必要性(2024年5月25日公開)

第2編 クロスセクター効果の算出について(2024年6月5日公開)

第3編 クロスセクター効果の算出結果の評価と今後の展開(2024年6月15日公開)

8. 公共交通政策推進の判断材料を得るためのCSEの算出

 CSEの算出については、2014年にまとめた西村他の論文「社会全体の支出抑制効果から見る公共交通が生み出す価値―クロスセクターベネフィットの視点からー」8)が初期的な取り組みであり、これ以降、様々な行政などで公共交通政策の推進に関する政策判断の材料を得るための算出事例が増加してきました。
 そのうちの一部を表8.1に紹介しておきます。ここには、CSEの算出を当初想定していたコミュニティバスの事例だけでなく、路線バス、さらに鉄道などを対象とした算出事例もあることがわかります。また、この表に掲載した以外にも、様々な行政で算出の取り組みが進んでいます。また大学においても公共交通の意義・役割を定量化する試みとしてCSEの算出や研究に取り組まれているケースも増加してきました。

表8.1 CSEの適用事例(一部)

CSE算出ガイドライン標準版 研修会(20231031)資料より

 ここでは、CSE算出によって政策判断の材料を提供した2つの事例について、簡単に紹介をします。

① 算出事例1:兵庫県西宮市「さくらやまなみバス」における運転士雇用維持問題について

 西宮市のコミュニティバス「さくらやまなみバス」は市の北部と南部を直接連絡する唯一の公共交通であり、民間バス会社に運行を委託しています。ところが、委託先の事業者において運転手不足が深刻となったため、これまで通りの費用では運行を継続することが困難であるとの申し出が2017年になされました。運転士不足を解消するためには運転士の待遇改善の必要があるため、人件費の増加分として年間3,400万円分の委託費増額を市に打診してきたのです。
 ここで注意したいのは、3,400万円/年の増額でバスの便数が増加する等のサービス改善が図られる、ということではなく、運転士の雇用を守り、運行の継続をするためには費用の増額が必要だということです。市では、他の交通事業者などにも委託の打診をしましたが、引き受ける事業者を見つけることはできませんでした。これを踏まえて、市の財政部局や市民にも、委託費増額の適否を説明することが必要となりました。

 そこで、2018年度の運行実績をもとに、さくらやまなみバスのCSEを算出することになりました(図8.1参照)。
 CSEの算出にあたって、分野別代替費用を算出した行政分野は医療、商業、教育、福祉の4分野でした。これはさくらやまなみバスの現状の使われ方を反映して決定されました。
 算出の結果、さくらやまなみバスの分野別代替費用は約11,150万円/年となりました。それまでの行政からの委託費は5,980万円/年であったので、人件費上昇分の約3,400万円/年を加えて委託金額が約9,380万円/年となった場合であっても、CSEは約1,770万円/年となることを把握することができました。

 この結果を踏まえて、西宮市では財政支出額の増額が決定されることになりました。

図8.1 さくらやまなみバスのCSE算出結果5)

② 算出事例2:近江鉄道線の存廃問題に対してデータとファクトで判断

 近江鉄道は滋賀県東部に約60km33駅の路線を持つ鉄道であり、その沿線には5市5町の自治体があります。2016年に近江鉄道株式会社から、滋賀県と沿線市町に対して「民間企業の経営努力では近江鉄道を運行することは困難」であると、ギブアップ宣言が出されることになりました。
 これに対して、滋賀県と沿線市町などが中心になって「地域公共交通活性化再生法」に基づく法定協議会を設置して、近江鉄道線の存廃問題について、議論を進めることになりました。多くの意見は定性的には存続が望ましいということでしたが、存続に必要な費用負担などを想定すると、費用を負担しても存続をする価値があるのかどうかについて、沿線の各自治体に対して定量的に示すことが必要とされました。

 そこで、近江鉄道線についてのCSEの算出を行うことになりました(2019年)。
 ここで近江鉄道を廃止した場合に、必要となる分野別代替費用が少なく見積もっても約19.1億円/年であり、将来見込まれる近江鉄道の事業損失額と国・県・市町からの財政支出額は合計で約7億円/年と算出されています。その結果、CSEは約12億円以上であることを把握することができました。
 こうしたCSEの算出結果は、まさにデータに基づく政策判断の材料の提供であり、法定協議会では「これだけの価値のある鉄道について行政も支援することが望ましい」というファクトが提示されました。これを踏まえて、法定協議会では全線存続が決定されることになったのです。

図8.2 滋賀県近江鉄道のCSE算出結果5)

9. 公共交通の価値を定量化するためのCSEの今後の展望

 CSEの基本的な考え方や算出方法の概要について、本稿で述べてきましたが、より詳細なことが知りたい場合は、ここでも触れたクロスセクター効果研究会のまとめた「地域公共交通の有する多面的な効果(クロスセクター効果)算出ガイドライン(標準版)」を是非参考にしていただきたいと思います。また、今後の展開として、社会全体の視点からみた公共交通の価値についても、「ガイドライン」でいくつかの考え方を述べています。
 ここでは、それ以外にCSE算出結果の扱いについて、いくつかコメントをしておきたいと思います。

 先ずは、CSEの算出結果がプラス、つまり、公共交通を残す方が良いという結果になった場合のことです。
 CSEを算出する場合の最大の関心事はその結果がプラスかどうかだと思います。しかしながら、プラスの結果となった場合であっても、それだけで安心せず、さらによりよい公共交通が実現できないかどうかという視点を忘れずに、改善や改良に積極的に取り組んでほしいと思います。CSEがプラスになった=地域にとって最良の公共交通とは限らず、同等の移動を提供するにあたって、公共交通の方が安上がりである、ということがわかったということに過ぎないからです。沿線の将来の人口構造など社会的な動向を踏まえて、地域を支える公共交通の実現を、目指すことを期待したいと思います。
 次に、CSE算出結果がマイナスになる場合も当然あります。ここで落胆する必要はありません。
 まずは、なぜCSEがマイナスになったのかの原因について検討してほしいと思います。マイナスになる場合は、利用者が少なかったり、当該公共交通の仕様が過大だったりするなどの理由があるはずです。その理由を考えてほしいと思います。

 また、算出結果がマイナスであったとしても、地域にとっては必要不可欠な移動の仕組みであることもあります。
 そのため、マイナスとなった理由を交通政策担当者が検討し、運行方法やサービス水準の見直しなどを通じて、地域の公共交通サービスを考えるきっかけとすることが期待されます。マイナスになったからといって安易に路線を廃止すべきだ、という短絡的な判断は避けてほしいと思います。

 CSEについては、行政が財政支出を行っている路線などを対象として算出することを述べてきました。しかし、財政支出を行っていない路線であっても、分野別代替費用の算出は可能であり、都市部などでの公共交通の価値を、測定することも可能になります。
 さらに公共交通の意義・役割については、ここで述べた定量的な把握だけでなく、定性的な価値についても把握することも、当然重要なことです。
 CSEは、公共交通が地域にとってなぜ必要なのかを考える一つの視点を提供するものであり、定量的・定性的な他のさまざまな指標と併せて検討することを通じて、市民や交通事業者、交通分野以外の移動に関わる行政関係の部署と様々な意見交換をすることで、公共交通を支えるための財政負担はどうあるべきか、行政は公共交通にどのように関わるべきかという関心を深めてもらうことも、今後の交通政策の推進にとっては重要なことだと考えられます。

 最後に、今後CSEの算出、あるいはCSEについて関心を持っている方々を対象として、クロスセクター効果研究会(会費は無料)を開催しています。
 CSEに関心を持つ方々はこちらもご覧ください。
 クロスセクター効果研究会のFacebookのページ

■参考資料

1)国土交通省:地域鉄道の現状、2024年5月閲覧

2)国土交通省:国土交通白書、2024年5月閲覧

3)西堀泰英、土井勉:送迎交通とその担い手に着目した実態分析、土木計画学研究講演集No.59、2019年6月.

4)土井勉・西堀泰英:「愉しみの活動」に対して生活に身近な「都市の装置」が果たす役割,大阪大学COデザインセンター,Co*Design5,pp.45-64,2019年3月.

5)クロスセクター効果研究会:「地域公共交通の有する多面的な効果(クロスセクター効果) 算出ガイドライン(標準版)」、2023年10月

6)一般社団法人日本民営鉄道協会:「輸送密度」、2024年5月閲覧:

7)国土交通省近畿運輸局:「地域公共交通 赤字=廃止でいいの?」、2018年3月

8)西村和記、土井勉、喜多秀行:社会全体の支出抑制効果から見る公共交通が生み出す価値―クロスセクターベネフィットの視点からー,土木学会論文集D3(土木計画学),Vol.70,No.5,pp.I_809-I_818,2014.