能登半島地震・その後の公共交通の復旧・復興の動き

担当:塩士圭介(日本海コンサルタント)

はじめに

 2024年1月1日に発災した能登半島地震では、多くの人命や財産が失われました。加えて道路、河川、上下水道といったライフラインが大きな被害を受け、発災後4ヶ月を過ぎた執筆時(2024年5月)において、今なお多くの方が避難を余儀なくされている状況です。筆者は被災地である石川県に在住しており、微力ながら被災地の復旧・復興に向けた活動をしております。復旧・復興にあたり、全国から多くの御支援を頂いていることに御礼申し上げます。

 さて、この「公共交通トリセツ」においては、被災地における公共交通の復旧に向けた動きをご紹介したいと思います。発災後、鉄道や特急バス、一般路線バス、コミュニティバスの復旧に向けた動きを紹介します。今後も全国で激甚災害の発生が懸念されますが、被災地における公共交通の復旧に向けた関係者の取組が経験知として関係者に共有され、各地で災害時公共交通確保に向けた体制整備の一助となれば幸いです。

公共交通復旧マップ

 下記に、1/1の発災からの公共交通復旧の時系列をまとめました。発災後1ヶ月間はほとんどの交通機関が運休を余儀なくされていましたが、2月以降徐々に運行再開が進み、4月上旬には鉄道の全線復旧や路線バスの一部運行再開、市街地無料巡回バスなどの運行開始が進み、新年度の通勤通学の足、また買物や通院の足として活躍しています。

鉄道の復旧に向けた動き

 能登半島を南北に走り、金沢から七尾まで繋がるJR七尾線と、その先につながるのと鉄道(第三セクター)がいずれも被災しました。主な被害としては道床流出、レールの歪み、架線柱の傾斜または倒壊などですが、特にのと鉄道においては斜面の崩落、線路上への土砂流入、レールの破断などの大きな損害となり、復旧には大幅に時間がかかると予想されました。

 そのような中、まずJR七尾線については被害が比較的少ない区間から順次運転を再開し、2024年1月15日までに金沢~羽咋間が、1月22日に羽咋~七尾間が復旧しました。その後、2月15日には、七尾~和倉温泉間も含め七尾線全線が復旧しました。

 一方ののと鉄道においては、被災規模が大きく、長期にわたる運休が懸念されましたが、県バス協会及び地元バス事業者の協力申し出により、1月下旬より鉄道代行バスが運行され、通勤や高校生の通学などが出来るようになりました。その後、和倉温泉~能登中島間が2月15日復旧したのち、特に甚大な被害となった能登中島~穴水間も4月6日に復旧し、鉄道線全線で復旧が完了しました。のと鉄道はいわゆる上下分離方式の鉄道事業者であり、線路の保有主体(下側)がJR西日本、運行主体(上側)がのと鉄道という、いわゆる上下分離方式の鉄道事業者ですが、国土交通省のTEC-FORCE及び鉄道・運輸機構のRAIL-FORCEによる技術支援を受けながら、JR西日本及びのと鉄道が連携して早期の復旧にあたりました。途中、法面の崩壊や土砂流入など多くの困難を伴いながら、発災3ヶ月後の4月6日、穴水までの全線が復旧しました。

 復旧直後の桜の季節、通称「能登さくら駅」とも称される能登鹿島駅では、100本以上の満開の桜が、復旧を祝う地元や訪問者を迎え、賑わいを見せていました。鉄道線の復旧は能登半島地震からの復興の道標として期待されており、今後観光列車の復活も期待されるところです。

桜満開の能登鹿島駅(通称:能登さくら駅)で停車中ののと鉄道車両(筆者撮影)

特急バス、一般路線バス

 地震により、自動車専用道路である「のと里山海道」及び海岸沿いを一周する一般国道249号をはじめ、道路網も寸断されたことから、同道路を走行する特急バス、一般路線バスとも当然ながら発災後は全面運休となりました。特に奥能登地域(輪島、珠洲、穴水エリア)においては営業所自体が被災したほか、運転士や運行管理者も出勤できない状況となり、運行再開が遅れましたが、2月中旬より少ない本数ながらも順次運行を再開しています。そのうち、のと里山海道を経由して金沢と奥能登を結ぶ特急バスにおいては、1月25日に被災者及びその家族を優先として期間限定で運賃無料(その後3月16日から通常運賃)として運行を再開しました。域外に避難した人が自宅の様子を見るために利用する例や、県外などからの支援のために利用する方などが見られ、復興の一助となっている様子です。 

 

 一方、奥能登地域の一般路線バスについては、発災後1ヶ月間はほとんど運行していませんでした(道路復旧が進まず、片側相互通行の区間が多く存在していることから、安全に運行できることの保証が得られないことが最大の理由と想像されます)。

 その後、道路復旧が進み、2月上旬から、輪島市街地と輪島市門前地区を結ぶ路線が本数限定で運行を再開したことを契機に、順次路線バスの運行が再開され、発災3ヶ月後の4月上旬には、ほぼ全ての路線で本数限定での運行が再開されました。一方、道路が甚大な被害を受けた輪島市内の国道249号を運行する路線については、大幅な迂回を強いられている状況です。

コミュニティバス、無料巡回バス

 輪島市や穴水町、珠洲市などでは、病院や公共施設と避難所を巡回する臨時の無料巡回バスの運行が始まりました。被災地では家だけでなく車を失った人も多く見られることから、被災者支援のために運行されているものであり、このように地域公共交通の復活が復興と生活再建を後押しする一つの手段となっています。

 輪島市においては、従来、市街地を循環するコミュニティバスが運行されていましたが発災後に運行休止となりました。その後、避難所に避難されている方の通院や買い物を支援するため、市内巡回無料バスの運行が開始されました。2台の自家用マイクロバスにより5コースで運行しており、仮設住宅と病院や買物施設を1日3便巡回しています。

 珠洲市においては、従来、運賃無料の「すずバス」が運行されていました(この「すずバス」の取組を紹介した記事がありますのでご覧ください)。市内道路が大きな被害を受けており、すずバスの車庫周辺でも津波が襲いいましたが、幸いにも「すずバス」運行車両に被害は少なく、2月中旬より臨時ダイヤで運行が再開されています。

災害時の公共交通情報提供の取組

 災害時の公共交通運行状況については、鉄道・道路の復旧状況に応じて刻一刻と変わるものであり、これを住民が知る手段は限られています。そのような中で、筆者をを含む有志が「能登半島地域公共交通情報提供ホームページ」を開設しています。これは、能登地域の鉄道・バスの運行情報を一覧にしたまとめWebサイトであり、2018年に中国地方で発生した「平成30年7月豪雨災害(西日本豪雨災害)」において立ち上がった災害時公共交通情報提供研究会の知見を生かしたものです。

 災害時に長期にわたり鉄道・道路インフラが寸断される中で人の移動を支えるため、地域公共交通の復旧とその情報提供を行うことは復興に向けた重要な要素です。そのため、交通情報のオープンデータ化とリアルタイム性を持たせた運行情報提供により、被災者や支援に向かう人の移動を円滑にする仕組みづくりが求められます。

おわりに

 執筆時(2024年5月)において発災から4ヶ月が経過しましたが、被災した建物はその多くが発災当時のまま残されており、まるで時間がとまったかのような状況にも見えるかも知れません。しかし、全国からの多くの御支援により、復旧・復興は確実に進んでおり、今後様々な活動が活発化することにより、移動ニーズも変化しつつ増大することが予想されます。移動面から復旧・復興を支えるため、インフラとしての公共交通は引き続き重要ですが、今後の復興まちづくりに合わせて、交通網の見直しも必要になってくると想定されます。引き続き日々の運行を支えつつ、担い手の確保も含めた将来にわたって移動を支える仕組みの検討及び実施が必要と言えます。