交通政策に哲学は必要でしょうか?

担当:土井 勉(一般社団法人グローカル交流推進機構)

若手ホープ
若手ホープ

地域公共交通の計画や運行に取り組むと,どうしても収支の問題などが気になりますが,それ以外にも気にすべきことはありますか?

確かに効率的に運行をするためには収支の問題は避けては通ることできません.しかし「血の通った政策」を実現するための判断を行うためや,AとBの施策のどちらを優先するかという問題に直面した場合,私達の倫理観や価値観なども大切になります.これをまとめて哲学ということにしたいと思います.

エピソード

 先日,ある学識経験者が書かれた論文を読んでいて,その主旨を大雑把にまとめると「頑張って外出を行い,歩行を行うことで健康寿命は延びる可能性がある.しかし,長命になることで,その人に関する介護費用や医療費用などの社会的費用が増加することになる.一方で,若い頃から不摂生を続けて早死する人は長命の人よりも介護費用や医療費用が少なくなる可能性がある.介護や医療などの社会的な費用を抑える効果は実は不健康な人たちの方かも知れない(あるいは健康寿命を延ばさない方が,社会的費用を抑えることができそうだ)」ということが述べられていました.変な感じがしませんか?あるいは,こうして節約したお金は,一体誰の何のために使われるのかも気になります.

 私たちの寿命は何時尽きるのかは,誰にもわからないので,元気な間はできるだけ健康を維持して,様々な活動を行うことと,仮に健康が低下しても,相互に支え合う社会の基盤があれば安心して来世にも行けそうです.私たちの活動は, こうした社会をつくるために寄与できれば素晴らしいことだと思います.そのためには,私たちの活動と社会との関係などを考えることが期待されます.こうしたことにヒントを提供するものが哲学なのです.

哲学とは

 ここで言う哲学とは,「哲学者が書いた難解な本」のことではなく,ものごとの考え方,何が正しいのかを考える倫理観,さらに自分にとって大切なことやものごとを考える価値観など、何らかの判断を下すときに依って立つ行動規範をまとめた意味で使っています.「○○さんの人生哲学」といった使われ方をされる場合の「哲学」に近いといえばイメージしやすいでしょうか。

 交通政策,特に地域の人たちに大きな影響がある地域公共交通の計画や運行をする場合には,地域の人々の日々の生活行動や生活様式、意識,価値観、さらには文化などを受け止める必要があります.そうしたときに担当する皆さんを支えるものが,ここで言う哲学なのです.

 ですから,「公共交通のトリセツ」でも記事のカテゴリーに「哲学」という項目を入れているのです.

技術や知識とは異なる価値観の体系

 地域公共交通に関わる技術や知識,それに法制度の理解はとても重要です.しかし,そうした知識をいくら蓄積したとしても、ある地域における高齢者の移動を優先するのか,高校生の移動を優先するのか,という問題の答えを出すことができません.

 もちろん,お金や検討する時間,担当する人が十分にあるのなら,この2つを共に取り組むことは可能でしょう.しかし,多くの場合は限られた条件のもとで,いくつかの課題の中から重視するものを選ばなくてはなりません.何かを選ぶと言うことは、何かを諦める、ということに他なりませんから、選ぶ理由、諦める理由がなければ判断を下すことができませんし、その選択をした理由についても明確に語ることが必要になります.加えて、そうした判断がもたらした結果に対しての責任を持つことも求められます。

 こうしたときには,技術や様々な知識だけでは答えを見出すことは難しいと言えます.この地域で何を重視するのか,そのことが地域にとっては,より望ましい選択であること確信するためにこそ,哲学を持つことで,自信を持って施策に取り組むことができるのです.

私たちが日々直面している哲学的な問題(実は一杯ある)

 交通政策は常に「誰かを救うことで、別の誰かに負担を求める」性質があります。

 例えば,地方鉄道の廃止・バス転換,あるいはバスの減便・廃線問題についても,①市場原理で判断すべきか(効率・功利),②地域の基本的権利を守るべきか(義務論),③世代間の公平性(若者負担/高齢者利益)などの様々な視点から判断を行い,方針を決めることと,その決めたことについて説明をすることが望まれます.

 更に,このテーマを「トリセツ編集会議」で議論した際に,編集会議メンバーの福本雅之さんから次の意見をいただきました.大変興味深いので,以下にその意見を掲載したいと思います.

 ……哲学的思考を体験するヒントとして、一つ例を挙げて頭の体操をしてみましょう。

 最近、「最適な公共交通」という言い方を目にすることがしばしばあります。この場合、「最適」というのは「ベストチョイス」「これ以上ない最良の選択」といった意味で使われていると思うのですが、果たしてそれは誰にとっての「最適」なのでしょうか?

 利用者にとっての最適であっても、運賃が安いのか、所要時間が短いのか、本数が多いのか、絶対に座れるのか、ドアトゥドアなのか、といったようにどの要素を重視するのかは人によって異なるでしょう。体調や気分によっては、同じ人でも昨日と今日では重視する要素が異なる可能性もあります。

 交通事業者にとっての最適も、一番儲かるのか、経費が最も少ないのか、一番利用者が多いのか、運転手が最も少なくて済むのか(だとしたらやめてしまう、が最適になる)、路線網はできるだけ維持したいのか、といった考え方一つで変わるでしょう。

 行政にとっての最適も、財政負担が一番少ないのか、より多くの市民が利用する(では、より多くはどこまでなのか?という別の問題が生じる)のか、市長の公約にピッタリ当てはまったものなのか、アンケートで最も賛成が多い施策なのか(では、そもそもアンケートで何を示したのか、という別の問題がでてくる)、という風に、いろいろなものが考えられます。

 そうすると、「これらのより多くの要素をなるべく多く満たすものを『最適』だろう」と思われるかもしれませんが、こうした要素はお互いにトレードオフ関係にあることも多い上、どういう指標でそれぞれの項目を計れば良いのかわからないものもあります。そもそも、ある指標がある値を示したとしても、それが良いのか悪いのか、あるいは「最適」なのかを判断するのは人間なので、その段階で判断する人の価値観=哲学によって異なった答えが導かれる可能性は充分にあります。

 公共交通に限りませんが、実際の社会や数多くの人を相手にする仕事においては、一つの正解が存在するとは限りません。であればこそ、何らかの判断を下す場合には、「その判断がよりよい社会を実現するはずだ」という哲学を持ち、これを説明ができることが重要なのです。

では哲学的思考はどうすれば身につけることができるのしょうか?

 これは,哲学の基本になることだ思いますが,対話を通して様々な価値観や倫理観を身に着けていくことが近道だと思います.また,読書を通して様々な価値観に触れることも大事なことだと思います.

 対話を通して価値観に触れるという点では,同じようなテーマを扱っている仲間と語ることは極めて重要なことだと思います.こうした場で,固定観念などが削ぎ落とされる感覚を味わうことがあれば,大きな意味がありそうです.NPO法人再生塾の場なども,こうした議論を通じて人材育成を図るものです(まだまだ道半ばですが…).

 そして,時には全然異なる分野の人たちとの荒唐無稽な意見交換も,多様な価値観を知る上では欠かせないことだと思います.

 さらに書籍も多くの先人たちの知恵を教えてくれます.

 推薦図書としては,トリセツでも紹介したことがある,J.ジェイコブスの「発展する地域・衰退する地域:地域が自立するための経済学」(ちくま学芸文庫),宇沢弘文「自動車の社会的費用」(岩波新書),戸部良一他「失敗の本質」(中公文庫)などを読むと,こんな考え方があるのか,という驚きや,私たちの社会を支える価値観の背景を考えるヒントになると思います. 

 また,「公共交通のトリセツ」でも,読者の皆さんに哲学への接点が増えるように,記事のカテゴリーにも「哲学」を設定しています.ご関心あれば是非,こちらもご覧ください.

 謝辞:今回の記事は神戸大学大学院工学研究科でNPO法人再生塾の副理事長をされている小池淳司先生から多くの示唆をいただいています.有り難うございました.